2011年03月07日

燐家の葬儀

22日にお隣のご主人Sさんが亡くなった。私より1歳上の満で69歳だ。Sさんは昨年の12月13日に脳幹梗塞で倒れ,その日がヤマと言われたが、2ケ月と少し意識が戻らないまま亡くなった。

ご主人が倒れた約一月後、看病していた奥さんが倒れた。
風邪をこじらせて肺炎になり、その日がヤマと言われたそうで、本当に驚いた。

奥さんは何とか持ち直し少し喋れるようになったそうだが、ドクターストップがかかっていて葬儀には出られなかった。どんなに切ない思いで伏せているかと、心が痛んだ。先日お見舞いに病院に行った時に、奥さんは5階,ご主人は4階で、お二人の苦しそうな様子を見るのは忍びなく、顔だけチラッと見て失礼してきた。

お通夜は会場に演歌の曲が流れていた。Sさんは演歌が好きで何時も聴いていたそうだ。お坊さんのお経の後は簡単な病気の経緯、そして式場の係の人がSさんの略歴を読み上げた。祭壇には釣り竿が飾られてあった。海釣りに行き、よくホッケ、宗八カレー、イカをビニール袋にいっぱい頂いたものだ。祭壇に向かって「お魚ありがとうございました、美味しかったですよ」と心の中で呟いた。
葬儀は25日10時より読経が終わり、弔電と略歴が読まれ、最後に参列者みんなでお棺の中のSさんに白い菊の花を供えお別れをした。その時にも演歌が流れていた。葬儀を取り仕切ったのは3人の息子さんたちで40歳代と30歳代。葬儀委員長は置かなかった。

これを書いている途中で息子さん3人揃って、挨拶に見えた。3人ともさっきとは違う笑みもあり、安堵感が漂っていた。「みんなで頑張ったね、お父さんもお母さんも喜んでいると思いますよ」と言ってる私が涙声になってしまった。特に3男の子は、独身で親と同居していて、二人の看病と仕事と大雪の始末とで、若いのによくやるね、と感心していた。いつか、頑張ってね!と声を掛けた時にポワット涙を浮かべた。

ポッリポッリと欠けて行く町内の知り合い。赤ちゃんだった子が小学生になり中学生にり、公園を走り回っていた子等が若々しい青年になって家の前を通る。月日の流れが急に早くなってきたことを実感し、そろそろ心の準備をする時期になったのかな?と改めて感じている。

  


Posted by vasadon49 at 16:43Comments(0)

2011年03月03日

G (爺) スリー

G (爺) スリー
庭のモッコウバラとキャロラインジャスミンがからんだ古いアーチが倒伏した。
直接には例年にない積雪の仕業だったのだろう。長年放置され、上部が茂るだけ茂って重くなり、鉄パイプの古いアーチがさびた継ぎ目から割れて壊れた。
こういうときに登場をお願いするのが、G(爺)スリーの方々なのです。6、7年前に仕事の関係でお知り合いになってから、私が非力にも健気にも、チマチマと庭仕事をやっているのを見るにみかねて、力仕事や、大木を切るなど、ここぞに、登場をお願いする。
昨日も雨の中、材料を仕入れ、長年茂って絡み合った太い枝をスパスパと切り落とし、全体を身軽にして、新しいアーチ、支柱にゆわえ、反省して丸坊主になったよう、それでも元気そうな姿にたちまち仕上げてしまった。植物からも私からも感謝。

そのあとは雨のため早くから小宴会が始まる。私はひたすら次々と料理を作っては出し、彼らはひたすら食べ、飲む。皆お酒は強いし食欲旺盛。

話題はスマートフォン対応出会い系サイトを利用する、でも底に流れるのは現代情報社会での人々の変化への様々な感慨。文明の何回目かの開化とそこに翻弄されている人々。逃げ切り世代としての複雑な心中。

この世代の特徴なのか、彼らは黙ってひたすら食べる。出されたものを、パクパク食べる。女性のように「美味しい」とか「これはどうやって?」とか「コレ、材料はナントカね」とか、料理人にはたまに欲しい創作料理への感想はゼロ。

以前の私は、やっぱり一言くらい「うまい!」とか褒められたいと思っていたけれど、最近はすっかり慣れてしまった。出せばペロリ、残すなんてことはない。幸せそうに、ごくあたりまえ風に食べつくす。

ああ、彼らは言葉のかわり、その態度で「おいしいよ、おいしいよ」っていってくれてるんだなあ、って。一口も残さないほどおいしいのだなあと。それぞれの家庭の食卓でもこうなんだろうなって・・・。

ちなみに、昨日のメニュー:
★チーズとドライフルーツのつきだし ★カレイの干物おろしそえ ★野菜いろいろ豚肉ポトフ ★あげと小芋の煮物 ★ほうれん草クリーム風スープ ★白葱焼きのマリネ ★豆腐、アボカド柚子風味サラダ ★コンニャク、きのこの中華風いため ★黒豆ごはん梅干添え  


Posted by vasadon49 at 11:04Comments(0)